2013年6月24日月曜日

2012.12.11例会 大阪のおばちゃん福島を行く-徳山明美・大森俊子

スピーカー 徳山明美   関西YMSネット 
 大森俊子 関西YMSネット
日時・場所 20121211日(火)大阪市立子ども文化センター

 二人とも震災後福島は初めてでした。日程はおおよそ次の通り。徳山が1日先発しました。
10月5日(金)伊丹空港―福島空港―勿来泊
   6日(土)湯本―勿来泊
   7日(日)湯本―福島―相馬泊
   8日(月)相馬-南相馬―相馬泊
   9日(火)相馬―福島―郡山―二本松―福島―仙台空港―伊丹空港
今回出かけたのは被災地を自分の目で見ておきたいという気持ちからです。その他福島の芸能を見たり聞いたりすること、また南相馬の友人たちとの交流も願っていました。
 (例会では2人のスピーカーがほぼ交互に話をされました)
徳山 初日勿来まで行ったのは宿がなかったため。湯本辺りは復興関係者と小名浜フェスティバルの関係でいっぱいでした。
大森 伊丹からの機中で南相馬の市長さんの書いた本を読み、えらい怖いとこ行くんやなとその時初めて思いました。飛行機は県外から帰る人で満席。横抱きにしている赤ちゃんや幼い子もいて、こんな小さい子を福島へ連れて行っていいんだろうか、とすごい疑問を感じながら黙って眺めていました。
徳山 私はいわき観光づくりビューロに行ったとき石炭化石館をみせてもらい、炭鉱の町が経済を支えていたこと、エネルギーの変遷やスパリゾートの誕生についても自然に理解できました。
大森 以前映画のフラガールを見ましたが今度は実際にスパリゾートフラを見に行きました。お客さんは大入り満員でした。
徳山 南相馬では竹内容堂さんと酒井ほずみさんのお世話になりました。忙しい人に迷惑かけられないと辞退したのですが全部クルマで案内してくれました。
大森 原ノ町で出会うとすぐ線量計を持たしてもらいました。県が無料で配布したものだそうです。東京とかと一ケタ違うと言われました。
   (立ち寄り先の放射線の実測値(マイクロシーベルト))
    道の駅南相馬 0.130.24  原町区海岸 0.11
    小高区海岸  0.16      小高神社   0.11
    相馬太田神社 0.24      原町区大原 0.691.52 
    鹿島区市街   0・29
徳山 今政府では平時では年間1ミリシーベルト以下でないといけないと言っています。それでこの数値から年間の積算量を計算すると、小高区海岸は0・578ミリシーベルト原町区大原は5・5ミリシーベルト。今日の新聞によると大阪は0・043マイクロシーベルト、年間で0・22ミリシーベルト。原町区大原以外はすべて政府の基準を下回っているが原町区大原はかなり高かった。それから小高のほうへ入った。線量が下がったので警戒区域が解除され避難指示解除準備区域になったところ。
大森 津波の後の更地にところどころ何軒かの家があり人が住んではりました。ここらはまだ放射能線量があやしい怖いところでした。
徳山 でも小高神社は0・11だからこれで測った限りはかなり落ち着いている。次はホワイトレイブンへ行きました。竹内さんが主宰している一般社団法人です。
大森 (写真を示し)これ竹内さんのお母さんの家なんです。神奈川に住んではったのに震災後ここで住んではる人です。ここらはいま線量でいうと問題ない。警戒区域というのではないけれど住まん方がよいですという場所です。それで私は何でここで家を買って住んではるんですかって聞いたんです。そしたら「ここにはありあまるものがあります」と凛とした感じで言われました。
 そのあと息子の容堂さんは毎日毎日何シーベルトやらなんやら、警戒区域とかなんやらそういうことをずっと考えて生きていくよりは、星がきれいやなとかそういうことを思いながら過ごしたいというようなことをおっしゃてました。
徳山 ここには水道はなくて毎日水汲みをしています。湧水のセシウムを計ったら他よりもきれいだったそうです。福島の農産物は測っているし、自分で作って食べる野菜なども持ち込んで測ってもらえるようになっています。
大森 福島へ行って何かを食べることについては全然問題はなかった。
徳山 私はもともと気にならなかった。放射能でもなんでも多分自分の体が浄化するわと思っているから。
大森 わたしは怖い怖いばっかりでしたが、福島へ行ってから恐怖心が全然なくなってしまった。すべてのものを美味しくいただいてしまいました。あれなんやろね。
徳山 やっぱり空気かなあ。向こうで一生懸命やっている人たちと一緒に動いたり話したりしてどっぷりつかったからちがう?
大森 竹内さんが一緒に活動している人にあちらこちら電話をかけて、大阪のおばちゃん来てるでって感じで。それで夜は湧いてきたように人が集まってくれました。 須藤さんはいろんな活動をされています。一生懸命説明してくれましたね。みんなお酒の場でわいわいしながらポロッポロッといろんな話をしてくれるんです。一緒にお酒を飲むと親近感がわくし普段では聞けないようなことが出てきます。
徳山 みんなの話を聞いていて縦横クモの巣のようなネットワークを張っていて、自分の得意分野のことで活動している。別の方はその方の得意なところを利用して色々アメーバーのように活動していると感じました。その拠点がみんな未来センター(みみセン)というところでそこへ行けばいろんな活動ができる。たとえば「そうまかえる新聞」の編集長の酒井ほずみさん。 話をお聞きするとすごく迷うことがあると。こういうことを載せてよいのだろうか。これを載せるとこんな風に思う人もいる。そんなことを思いながらこの新聞を作っている。
ほんとうにどの線量を信じていいのかわからないこともあり、そんな中でこの新聞つくってはるのは凄いなおもいましたね。
酒井さんがおっしゃるのは南相馬の話をしても伝わらない。来てほしいと。ただ関西からなかなか来る人はいませんね、という言葉はこたえました。震災前から大阪と東北ってすごく遠いんですね。
大森 竹内さんはいつも「大阪のおばちゃん来たでえ」って声をかけてほしい。そしたらみんな集まる。いっぱいやれる一晩があったらそれが一番うれしいと言っておられました。
徳山 私たちの目的の一つはいわき市の小名浜フェステイバル。太平洋諸国の舞踊祭は素晴らしいと思いました。アポリジニのダンスとか韓国舞踊、タイ舞踊、中国、トンガ、ミクロネシア、フラ、じゃんがら念仏踊り、エーサー、サモア、タヒチなど。舞踊祭実行委員の会長さんが自分も元炭鉱夫だが閉山後ほんとうにフラガールが元気をくれたと話された。そういうつながりが連綿と、とくに年配の人たちの心の中にあるんだなと思いました。 すごく良かったと思うのはアポリジニの踊りです。文字はないけれど先祖に伝える心をペインテングや踊りで表します。水とか自然に対する感謝の気持ちを滑稽な格好で踊るのですがそれがよく伝わってきました。
大森 トンガ舞踊もうまいのか下手なのかわからないけれど、一緒に踊りたくなるような、血沸き肉躍る土着の音楽でわくわくしました。
徳山 福島県のじゃんがら念仏踊それと秋田県由利本庄市の本海獅子舞番楽というのも心にしみわたってきた。今回無くなられた方への心からのお祓いと祈願をいたしますといって一生懸命踊られました。
徳山 私のぶるっときた言葉は懸田先生のご自宅で伺った「私たち 祭りがなくて 何が残るの」という言葉でした。先生の調査活動中にある中年の女性がこのように言われたそうです。それだけに芸能とか祭りの力は凄いものなんだなと思いました。
大森 先日NHKの特集のなかもで「建物とセメントとか土のものが建っても、みんなの心が元気にならなければ何にもなりません」といっていました。心も一緒に元気になれたらなと思いました。南相馬で別れるとき原ノ町の駅で全員ハグしたよね。

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