2013年12月23日月曜日

「毎月11日の会」10月例会-避難者子ども健康相談会の活動-髙松昌子さん

スピーカー 髙松昌子 大阪府枚方市在住
      「福島県避難者子ども健康相談会実行委員会」
日時・場所 20131011日(水)
大阪市立総合生涯学習センター第5研修室

「福島避難者子どもの健康相談会おおさか」の窓口をさせてもらっています。いろいろな専門の職種の人がスタッフとして関わって下さっています。私が直接相談を受けるという立場じゃないので、あまり具体的なくわしい話はできないと思いますが、写真もご覧頂きながら健康相談会のことが少しでも伝わるようなお話になったらいいかなあと思います。

「子ども全国交歓会」の活動を続ける
私は「子ども全交(子ども全国交歓会)」といいまして、子育てグループでずっと活動しています。私はもうずいぶん年をとっていて参加している子ども達は孫世代なんですが、私の子どもたちがここに参加していたのでそのままお世話係をずっと続けています。「友だちが好き」「自然が好き」「平和が好き」、そんな子どもになって欲しいと思い、お友達といっしょに子ども自身が遊びとか表現活動を創りだすという事、アジアの子どもたちと仲良くなる交流だとかそういう所で子どもたちが輝いて育つように、大人は見守り支える、そういう事を柱に活動しています。私自身二人子どもがいましてもう成人しているんですが、上の子一人は働いています。共働きで夫はなかなか家にいつかないで、いつも時間に追われて一人で余裕のない生活をずっとしてきました。子どもたちにはほんとうに申し訳なかったという思いを抱えつつ、今の子育て世代のお母さんたちは、子どもたちには「たっぷり甘えさせてね」「しっかり受けとめて抱きしめてあげてね」という私には出来なかったことを伝えながら関わっています。
今の子どもたちは成績とか結果を出すことが求められていて、教育の分野でも出来の良し悪しとか、点数の順列で子どもを格付けする競争の社会です。体罰問題も今でも続いていますがそういう背景があるんだと思っています。自分はだめな人間だと思う中高生が六割を占めるんです。随分前から日本の子どもの自己肯定感の低さが際立っている状況があるのだなあと思っています。2007年に全国学力テストが復活したということがありまして、序列化につながるから文科省は結果を公表しないようにと言ってるんですが、学校順位までも明らかになっていくというようです。今年大阪市は来年度学校選択制を導入するので学校別の成績公表をすると言っています。私はそういう事が子どもたちの選別につながっていくんじゃないかと、そういうテストに莫大な税金を使って行うという事は良くないと異議を唱えてきました。そういう過程で出会ったのが子供の権利条約です。1984年に国連で作られて、日本でも1994年に批准した子どもの権利条約です。子どもを豊かに育てていこうとそういう事を思いながら活動をしていましたが、私たちもこの子どもの権利条約というものをよく知らなくて、子どもの権利のための国連NGOという団体、DCIと言うんですが、その運営委員である木附千晶さんという女性に来てもらって学習会などをしました。それは子どもたちが自分の思いとか願いを自由に出しながら大人に向き合ってもらって、大きくなっていくという、そういう権利なんだという事を私たちは教わりました。ほんとうに子どもが真に必要としているのはこの人となら生きていけるという自己肯定感とか、人って信頼していいんだという共感能力を生み出していく、親とか教師などの身近な大人との継続的な受容的、応答的な人間関係という事が必要なんだという事を教えてもらいました。これなしには子どもたちは尊厳をもって今を幸せに生きて、調和のとれた人格に発達することはできないという事、それが子どもの権利条約の本質であると言われています。「ねえ、ねえ」と言う子どもに「なあに」と答えることの関係に自分はかけがえのない大切な存在であるそういう感覚の人になる、そういうことであることを学びました。だから赤ちゃんにでも、意見表明権はある。泣いて訴えることに対して「どうしたの」と向き合ってもらうということ。“おっぱい”なのか“おむつが濡れているのかなあ”“ねむたいのかなあ”とか、そういう行動をしてもらい、ここちよくなる関係性を継続することが大切なんだという事を知りました。そこでもう相手にしてもらえなかったら、子どもは人間不信に陥るし、自分の言いたいことも言えないし、そういう事が後々とても大きな問題であるという事を教わりました。これはほんとうに目から鱗で、大人たちはあなたのためと言いながら実は自分の具合のいいように、子どもたちを思うように管理する支配する、子どもの尊厳とか、成長とか発達を押さえ込んでいる。私達もややもしたらそういう事をしていたのではないかと思い返しながら、「何故そういうことができないの」「どうしてそういう事をするの」と言ってしまう。ほんとうに子どもの声とか思いなどに耳を傾けているかなと、そういう事を思い返しながら子どもが自主的に進める活動を作って行こうということで歩んできました。なかなか難しいですけどね。

20116月、郡山から避難してきた二組の母子と出会う
避難者とは、震災があった年、2011年6月に出会うきっかけがありました。原発事故を子どもたちにも分かる話をしようという事で、原発事故と未来を支えるエネルギーを考えようという学習会をしました。子どもにも学習させたいという、そこに郡山から非難した二組のお母さん、母子避難者の人が来られました。これは子どもたち自身のこれからの問題だから子どもにはしっかりと向き合ってほしいという思いで来られました。そういうお母さんたちの出会いが、すごく甚大な被害をもたらした3.11と原発事故を一気に身近に引き寄せてくれました。一人のお母さんは、小学生の子どもの鼻血が止まらなくて避難を決意したのですが、子どもはとても渋るので「お母さんより先に死んでほしくないんだ」と子どもを説得して連れてきた。事故直後放射能が降り注ぐ中、水を求めて子どもと給水場に並んだそうです。やっぱり正しい情報を流してくれてさえいたら子どもにそういう事をさせなかったと思い悔んでおられました。
もう一人のお母さんはとても元気な人で、生きていかないといけないし、子どもを育てていかないといけないから落ち込んでばかりいられないから前に進んで行かないと、こっちでがんばって生活を作っていくんだとおっしゃっていました。せっかく放射能から避難してきたのにこっちで危険があっては何もならないと、「プールは安全なのか」「給食は大丈夫か」そういう事を学校や保育所にかけ合って線量を測って、そういう事をやっておられてかなり私たちの背中をぐいぐい押して下さり、「そういうことが大事よ」という事を教えてもらいました。普通の人たちがそこに住んでいたと言うことだけで、自分で情報を集めて自力で逃げてこなければいけなかったことを直に話を聞きました。子どもたちは大切な家族と離れ、子どもを育ててくれた色々な「自然や地域」や「おじいちゃん、おばあちゃん」や「海や山」やそういう所の関係性を断ち切って、まったく初めての土地で生活し人間関係を進めていかないといけないという、ほんとうに何と理不尽なことだろうと思いました。そんな避難者の人との出会いがあったので、健康相談会を大阪でもという話が持ちあがった時にぜひ関わりたいなあと思ったわけです。

福島健康相談会を大阪でもという呼びかけに応じる
福島では原発事故後の2011年6月から福島現地の呼びかけに応じて健康相談会をスタートさせています。東京の山田真さんという医師が代表の「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」というのがあるのですが、そこの協力で福島での子ども健康相談会がずっと続けられています。「子どもを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」の呼びかけで福島の健康相談会に参加協力してきた医療問題研究会の医師が全国に避難した福島の子供の健康相談会の話が出ているので、大阪でも出来ないかなあという話が出てきました。私の夫がこの研究会に加わっている医師だったので、そこから話を聞きましてぜひ私もやりたいと、その医療問題研究会のお医者さんが対応し、事務局は私達が引き受けて「子ども全交」の仲間と運営を行うことになりました。
大阪の健康相談会の目的はまだ空間放射線量が高い福島の現実から避難されてきて、避難生活の中で生じてくる子どもたちの健康の不安とか、被害を受け止める事とか、同時に悩みや心配、不安を受け止めて避難先での安心した生活をいっしょに整えていく、そういう様々な分野でのかかわりを作っていく事を目的として始めました。

20124月一回目-試行錯誤の末、17家族36人が参加
第一回目の福島避難者子ども健康相談会は昨年の2012年4月クレオ大阪西で開催しました。立上げの実行委員会には医師とか看護師とかハンドマーサージのボランティアの人とか、教育、子育てNPO団体の方、司法書士の方、当事者である避難グループの方、何かやりたい何かに関わりたいと思う人たちが集って下さいました。第一回目の実行委員会の一週間前にした学習会に来られた方、ブログや避難ママのメーリングで知った方、初めて顔を会わす人ばかりでしたがこれまでに避難者の支援活動をされている多くの方が協力してくださいました。
避難者の人には、まず申し込みをしてもらうという事から始めますので、チラシがいる、申し込みフォームがいる、今の人達はみんな携帯でやり取りをしますからそこから申し込みが出来るようにとか、そういう事が必要だということで、さあどうしようかと。チラシはスタッフの娘さんが作って下さいました。これを日付だけ変えて四回目まで使っています。申し込みフォームはそこを開けると、色々な項目が出てきてそれに入力して送信すればメールが届くというフォームなのですが、実行委員会に来られたスタッフの方が作って下さいました。チラシの裏にFAXでの申し込み書を私が作成したのですが、自宅のFAX番号を一部逆に記載して、実際に存在したその番号のお宅にお詫びして転送をお願いする失敗もありました。やはり初めてのことで、少々てんぱっていたのだと思います。
避難者の人にアナウンスと言ってもまったく情報を持っていないので、避難者の人が何処にいるか何人いるかなど分からないです。これもスタッフの支援に関わる人から教えてもらって、ちょうど2012年は3.11から一年ということで関心が向けられる時期でもあり催し物がたくさんありました。避難者の人の集りとか、3.11の集いなどもありました。ボランティア情報センターで避難者向けの広報誌ですが『IMONIKAI』というのが出てるんですがそれに挟み込んでもらったり、避難ママ、関西の避難者団体のメーリングリスト、弁護士会の会報とか色んな所にお願いして配布してもらいました。新聞掲載もしてもらいました。スタッフは各自在住の自治体で避難者支援の窓口、危機管理室がありますので、そこに避難者支援に送って下さいと持って行ったりと、当日までの活動でした。そんなこんなしながら申し込みのメールが一人、1家族、2家族という感じで届くわけです。当日は看護師10人ほどで問診表の記入に付き添って、医師8人が交替で個別に面談を行うという形にしました。健康相談会以外にも教育・法律相談も設け、保育室、お茶会、ハンドマッサージのブースを作りました。入り口から会場までの案内、駅から案内してくれる人とか50人を越えるスタッフの人たちが動いて下さいました。その人たちはほとんど専門家ですが、それぞれ準備してメンバーを集めて参加して下さいました。大阪への避難者の17家族36人が参加しました。事故直後に避難された方、一年悩んだ末に避難された方など様々でした。家族は福島と関西に離ればなれと言う人がほとんどでした。ほとんど母子避難の人です。

参加者の不安-被曝、避難が正しかったのか、これからの生活、家族
一人30分の枠で、予約してもらって朝10時半位から、2~3家族づつを順番に30分おき位で来られるんです。子供は保育室にいって遊ぶ、面談が終わったらハンドマッサージとか先ほどのお茶会とかそこで過ごされる方が多かったです。私達は最後の反省会をやって戸締りをして「さあ帰りましょう」と外に出たんですが、まだクレオ西の向いの公園で遊んでいるのは避難者の方たちです。日頃孤立しているのかなあと、そういう同じ身の上の人達とたまに会ってほんとうにほっとできるというか安心できる、その時間がとても大事になってきているのだなと思いました。ずっと暗くなるまで遊んで帰ったとおっしゃってました。
相談の内容は具体的には微熱とか、鼻炎、疲れやすいとかそういう症状に関わることもあったみたいですが、今後への不安、特に生活への不安に加えて避難が正しかったのだろうかという不安、がんになっていくんじゃないかなという不安とかを訴える人も多かったです。面談にあたった医者の報告ですが、「家族はバラバラで向こうに残る友人も多くて自分が正しかったかどうかと揺れ動いていて、かといってがんは恐いし、孤立している中で、このような相談会を開いてくれるだけでうれしいという言葉。ほんとうの話が聞けて気持ちが落ち着きますといった人、事故直後にのがれて来た人が涙ながらに不安を訴えられてそれに対して“手放しで大丈夫とは言えないけれど、10万人に一人か二人ふえる程度のリスクをどう考えていくか、発熱が数日続くようであったら、すぐに医療機関に連絡できるようなルートを作りましょう”といったそういう会話を交わす中で少し先が見えてきましたという人もいた」と。
他のブースでは「ハンドマッサージはほんとうに鳥肌が立つほど気持ちが良かったし、保育もあったので茶話会室でゆっくり話をすることが出来ました。これからも私たちのような避難者の相談にのっていただけたら大変心強いです」と感想をいただきました。
参加された親子さんにとって少しでも胸のつかえをおろすことのできる場になったのかなあとスタッフ皆思いました。当時直ちに健康に影響はありませんと事故後繰り返し言われていましたので、心配や不安があるなかで、気のせい心配しすぎと言われ続けてきたお母さんたちです。医療機関にかかっても真摯に答えてもらえない、そんな経験をもつお母さんたちが子どもを避難させて正しかったそう思えること、低線量・内部被曝の危険性を科学的な根拠をもって理解する人たちに向き合ってもらう事がとても大事なことであると思いました。子どもの将来も心配ですし避難してきても決して不安が取り除けるわけではないというのが実状ですので健康問題とともに避難生活が長期化する中で福島に残す家族のこと、子どもの学校のこと経済的にこの生活が続けられるか様々な問題に対するサポートが必要だと確認していきました。

「低線量被曝の学習会」「避難者の声を聞くつどい」を開催
次の相談会は9月ということを決めて準備していくことになるんですが、スタッフの中から避難者の人に関わり、寄り添って関西でよりよい生活ができるようにサポートいくためにも避難者が一番心配しているのは低線量被曝の問題なのでそういう学習をしようという声があがりました。4月が終わって次の9月までの間に、6月にスタッフの入江紀夫医師に講師になってもらって、「低線量被曝・内部被曝の危険性-その医学的根拠」と題して学習会を行いました。30人程度の参加だったのですが福井から避難者支援の方が来られたとか、ネットで見てとびこみで松戸からの避難者の方も来られました。その方はとっても子どもが体調が悪くてどうしようもなくこちらに来た、こちらに来て子どもがとても元気になってという話をされていました。「私も大きなのう胞が見つかったんです」と。こういう学習会を聞けないかと必死で探して来られる避難者の人たちの現状に胸が痛かったです。
「避難者の声を聞くつどい」というのを9月直前の二週間ぐらい前に行いました。二人の避難者の方に話を聞きました、このつどいと相談会の予告記事とか報告記事が新聞に載りました。

20129月第二回目開催、事故後1年半後、被災者がせねばならない選択
第二回目の相談会は9月に行いました。この時はドーンセンターで行いました。避難者家族は11家族子どもは21人ということで、前回に引き続いて来ていただいた家族の方は4家族おられました。7家族は初めての方でした。スタッフも入れ替わり参加者も含め同じ位の人数の人が集って来てくれました。
避難者の方は「質問に答えてもらったり、ゆっくり話を聞いてもらえて不安とか疑問とかが解消された」「細かい話にも答えてもらったしアドバイスを具体的に教えてもらった。甲状腺の状況について丁寧に説明を頂いた」「四月と同じ先生で引き続き相談にのってもらえてとても安心感があった。福島県民の健康不安によりそった相談もしてもらった」「放射能に理解のある先生に相談できてとてもありがたい、健康相談会だけでなく他のコーナーも充実していてとても満足している」「子どもの健康今後どうなるかとても不安で引き続きあればうれしいです」「定期的にやってほしい」というそういう声もありました。健康検査をしてほしい方、事故後一年半たって福島にもどろうか、もどっても大丈夫かということを、家族の関係での悩みも出されたそうです。一年半たって戻るのかどうかの選択をまたそこでしなければいけないという方がやっぱり増えてきたなあと思いました。

20134月三回目は関東圏へ対象を広げる
二回目を終えて次はどうしようかと考えていくわけですが、当初から言われてきたことですが対象を関東圏にも広げていこう、最初は福島で始まった健康相談会だったので、福島の避難者という事で始めたんですが、近畿への避難者は関東地方の福島県以外の方がほんとうに多いです。マンパワーの問題もあって福島の子どもに照準を当ててきましたけれど、関東圏にも多くのホットスポットが存在して一家で移住を選択した家族もおられます。健康問題とか避難生活の不安とか心配は同じであるはずですので、どれだけの申し込みがあるか分からないけれども、すべての避難した子どもたちを対象に受け入れていこうということで、三回目は福島ということを外して、避難者子ども健康相談会おおさか、ということで同じくドーンセンターで行いました。
第三回目は13家族でした福島県からは7家族、福島以外は6家族で千葉県銚子市、浦安市、松戸市、東京都は杉並区、葛飾区などの避難者の方が来られました。
参加された避難者の方のアンケートをここに紹介しています。「はじめて対象者を福島以外に拡大していただきありがとうございます。私は東京からの放射能避難なので神経質なヒステリーママと二年以上受け止められてきました。言われるとおり原発事故を恐がっています。残されて東日本に暮らし続ける子どもたちが心配で冷静でいられない事もありました。事故当時3才の娘を守ったつもりでのう胞が見つかり不安になったり、楽観したり、揺れると長女の娘にも影響が出て、このような日々に健康相談会にたくさん助けていただきました。準備と運営に関わって下さるたくさんの方々、ありがとうございました」避難者という言葉でひとつにくくれないなと、それぞれの避難者の状況が違いますので、一人一人に寄り添う健康相談会でありたいとそれを大事にしていこうと皆で話をしました。

20139月第四回目 避難者に広がる「こどもの甲状腺がん」の不安
先月の9月に第四回目の健康相談会を行いました。だいたい健康相談会は一年に2回、4月・9月に開催で、落ち着いてきたかなと感じます。
福島県が行う福島県民健康管理調査というのが2011年から浜通り、中通りで今年は会津地方というのでずっと順番に健康調査をやってきているのですが、そこで福島の子ども43人に甲状腺がんが診断されたという調査結果が出ています。震災当時18才以下の約36万人が対象ということで行われているのですが、通常子どもの甲状腺がんは100万人に1人~2人と言われていますので、これだけを見ても深刻な問題になってきていると思います。第四回目9月の開催時には「子どもに甲状腺の超音波検査を受けさせるべきか、両親、夫との間での考え方が異なることをどうしたらいいものか」と言う。「避難後に妊娠して出生した子はほんとうに大丈夫なんだろうか」「異状が出た甲状腺血液検査の再検を希望したいけどどうすればいいのか」「前回は問題なかった甲状腺検査に要観察所見が出て以前より膿胞とか結節が見つかっているけど二年後に再検と言われてほんとうにそれでいいのか、これからどんな症状が出るのか注意することはないのか」親はほんとうに心配でたまらない、そういう相談をされました。
今問題のない子どもも次の時は見つかるかもしれないという不安を抱えて行かないといけない、がんが多発という異常事態、こういう状況の中でお母さんたちはほんとうに心配でたまらないと来られました。9月の相談会は相談会が午前の時間として、午後からはセミナーを開催しました。ずっと一回目からかかわってもらっている大阪青年司法書士会の方がずっと被災地に入って活動されているのですがその報告、医療問題研究会の高松ドクターが「甲状腺がんの多発を受けて原発事故の健康被害の実態の報告」、避難者の森松明希子さんから「今も福島に帰れない~避難の権利を求めて~」の話をしていただきました。「毎月11日の会」で5月に話に来られた方です。福島第一原発の終息にはほど遠い状況にありますし、原発事故子ども被災者支援法というのが去年の6月に超党派で成立したのですがそれが放置されたままでこの8月30日に被災者生活支援施策の推進に関する基本的な方針案が公表されたのですが、避難者がずっと求めてきた、特に避難の権利はまったく無視されているという批判の声が上がってきています。その中で被災者の人たちは国と東京電力の責任を問うということで集団提訴にふみきっています。森松さんも、大阪の原告団長ということでこの時も思いをせつせつと語って下さいました。9月17日は大阪地裁・京都地裁、9月30日は神戸地裁に集団提訴にふみきったということで新聞にも載っていたと思います。
森松さんはこの時も提訴について触れていて「避難の権利を認めてほしい、未来の担い手である子どもを守る姿勢だけでも国に示してほしいし、放射能からのがれる自由を認知してほしい、子どもを守るのはすべての大人の責任であるから子どもと共に原告として加わった人、そうでない人もその事を思いを一つに一致団結して頑張っていこうと思っている」と話されました。生きる権利・育つ権利・守られる権利・参加できる権利そういうことを柱にする子どもの権利条約、ほんとうにそのものであるとそのように思いました。

参加する避難者が1人になっても関わり続けていく
終了後スタッフで健康相談会の反省会をしました。集団提訴では家族で原告に立つという人たちがたくさんいて、子どもたちも原告に立つことになります。これは子ども自身の事であるし、子どもの未来を守るという事を子ども自身が背負っていくということです。原告であるという事をその子どもが背負っていく、それに対して健康相談会も支えていかないと、そういう状況にある子どもたちを支えていきたいという声がでました。健康相談会に来られる避難者の方が一人になっても関われる体制を作っていくことが大切だという発言がありました。こういう思いで関わってこられるスタッフの人たちがいますのでそういう人たちと一緒に今後も「避難者こども健康相談会おおさか」を続けていきたいと思っています。
森松さんからこの間、「高松さん、11日の会がんばって下さいね」と言うエールが送られてきたんです。彼女の3才の娘さん、0才で大阪に来て3才になる子ですが、甲状腺検査でA2判定(注)だったのです。「私はこの相談会で毎回毎回救われているし、こうして冷静に経過を追っていこうと思えるのも相談会で支えてくれる先生方、皆様のおかげです」と言っていただきました。「避難できても私は子どもたちの健康をずっと案じ続けることになるし、それは福島に留まっている人も同じ気持ちなんです。避難者、被災者の支えになっているのでこれからも頑張ってください」といわれてそういうことを思っていただいている避難者の方たちに応える中身で今後も頑張って続けていきたいと思っています。
スタッフの人たち皆さんなんとか自分がここでできる事を頑張ってやっていきたいなあと集って来てくださっているのでそういう思いを持ったスタッフの人がいる限り一緒に頑張ってやっていきたいと思っています。
       
注)福島県民健康管理調査の甲状腺超音波検査の判定内容
A1=結節、のう胞なしA25mm以下の結節20mm以下ののう胞 B=5.1mm以上の結節20.1mm以上ののう胞 C=甲状腺の状況から直ちに2次検査 
A1A2は次回検査(H26年度以降)まで経過観察、BCは二次検査実施
(出所:福島県「第12回県民健康管理調査」検討委員会(H25.11.8開催)資料