2014年3月17日月曜日

「毎月11日の会」9月例会―自給的生活のなかで自分にできること―藤原 誉さん

スピーカー 藤原誉 京都府南丹市美山町在住 自然体験レストラン「田歌舎」代表
日時・場所 2013年9月11日(水)大阪市立総合生涯学習センター第5研修室

20年前、美山に移住し10年前に「田歌舎」をスタート
京都府美山町、南丹市美山町のほぼ最北に近い由良川の源流域になる清流美山川、その源流域の地域で自給自足的な暮らしをしながら、レストランをしたり、自然体験を案内したりというようなことで、移住してから20年目に入りました。元々こうやって独立してお店をしていくというようなビジョンを持って、美山町に行った訳ではなかったんです。入って行って自分が暮らして行く中で、美山町の中で得たことも含めてお店がやっていけるんじゃないかなということで、あんまり欲もない中で始まりました。そこにスタッフたちが集まって来、今では専従で常に45名のスタッフがいる、例えば地元の男性の方とうちのスタッフが結婚をして、今は産休だけどまたいずれ手伝ってくれるとかいうふうに。僕のまわりに集まった連中たちが、常時78人田歌舎を手伝ってくれ、ちょっと大きな所帯になってきているのが、現在です。
「福島の子供たちを受け入れる」というところをメインにお話していくんですが、その受け入れる土壌として、うちがどんな取り組みをしてるんだというところから話をしていきます。うちのお店、農園、自然体験など田歌舎の営みをスライドショーで流します。皆様のお手元に「おひさま発電所ができました」というパンフレットがあると思うんですけど、そちらの方をちょっと見ていただいて説明させてほしいんですが。約10年前に独立してお店をスタートしました。その時には僕の嫁さんが食、料理にこだわりのある料理上手で、レストランをしたいねということがひとつと、僕が元々移住してきたきっかけというのが、都会的な暮らしに疑問があって、食べ物を作るとか建物を造るとか、そういう自分で生きる、衣食住の部分を自分でやりながら暮らしていきたいなという思いがあったからです。農業とか狩猟、採取とかいった部分で、食べ物を獲得するということが得意な分野でしたので、自分たちが作ったものでレストランをしようということがありました、あとアウトドア好きで川下り、ラフティングとかカヌーとか滝登り、動物も自然も草花も好きですから、自然案内、山登りの案内というような形で自然案内もするスローフードとアウトドアのお店というふうに冠をつけて、屋号は「田歌舎」です。「たうた」というのは地名です。僕の住んでいる集落が、たんぼとうたと書いて「たうた」と読むんですけど。この美しい地名を屋号に使わせてもらおうということで、「スローフードとアウトドアのお店、田歌舎」をスタートしました。

3.11を経てできたキャッチフレーズ「遊・食・住」+「エネルギー」
スタッフ達が集まってきて、できることが大きくなってきまして、この10年間という時間を経て、3.11を経てきた中で、うちのお店色んなことをやってるお店だから、今までどういうふうに言葉で表現できるのかなと難しかったのですが。長らく「スローフードとアウトドアのお店」て言ってきました。そんななかで新しいキャッチフレーズでうちのお店を伝える言葉が生まれてきました。それがパンフレット開いたところの下の方に書いてある、「遊ぶ」っていうのと「食」っていうのと「住」っていうのとで、「遊・食・住」という言葉。衣食住をもちろんもじっているんだけど、食べ物に関して、田畑は一町以上持ってます。一町一反の田畑をやってます。田んぼで九反、畑で二反ほどやっております。建物は、僕自身の家も、僕よりも立派な大工さんは誰一人使わず、すべて僕と僕のスタッフたちで建てました。もう一つは、遊ぶという部分ですね。今ここにお集まりの方は僕よりも年上の方ばかりかなと思うんですけど、我々の世代くらいまでは、遊ぶということを子供たちに提供しなきゃならない、遊ぶ場所を与えなくちゃならないなんていうことを、考える必要のなかった世代だと思うんです。でも今は遊ぶていうことも生み出す、与える場を作るっていうことをしていかないと子供たちが成長できないという時代に入ってきている中で、遊びも作るってところが必要だということです。遊ぶってこととレストランっていうことは別の軸のように見えるんですけど、そうでなくて同じ軸の中で提供してるってことを伝えたいって思いがあり、「遊・食・住」って言葉がいいなと僕の中でなってきました。
 あと自給すべきものとしてエネルギーですね。よく自給自足なんていってるけど、3.11まではエネルギーの自給なんていうことにあんまりこだわりがなく、僕自身もそれ以前からエネルギーの自給はしたいとは願ってたんだけど、それほどに切羽つまるものはなかったわけです。3.11の原発の事故を受けて、ほんままさに切羽つまる思い。それを後回しにする訳にはいかないなという強い思いを抱きまして、たった今もそこに向かっているわけですけども。エネルギーもやっぱり自給しなくちゃいけないというふうに思ってます。
「遊・食・住」プラス「エネルギー」っていうことで、自給的暮らしの見えるお店っていうことを、うちのこれからの「田歌舎」の冠に乗せキャッチフレーズにして行きたいなと思っています。

建物は地元材、天然の舞茸、合鴨農法で米づくり、男性は猪や鹿猟、女性は鶏を捌く
(画像をみながら)これマイタケね、実はまもなくなんですよね。2週間後くらいからマイタケ捕りが、冬のメニューなんかでずっとお客さんに鍋料理、これ鴨をさばいているところですけど、合鴨農法のカモたちが、これから秋の料理から冬の鴨鍋の料理へ変わっていくんですが、そこに天然のマイタケも必ず登場するって形で。春までのマイタケを確保する。
これは今のお店、ログハウスを建てている写真ですけど。お餅も全部杵搗きします。もちろん自家消費、お客さんにも食べてもらう分。あとは道の駅なんにも持っていったりします。このお餅も合鴨農法で無農薬で作っているお餅、美山町の中でも同じように農家の方が色々工夫して道の駅に置かれるんですけど、なかなか無農薬でできてるとこは少ないと思います。あと赤米とか黒米とか古代米なんかも販売させてもらっているんですけども、割と中心に置いていただいて売ってもらっています。
建物もできるだけ地元材を使おうと、もちろん角材とか量が多いときは地元の製材屋さんにお世話になることもあります。このログハウスは20年近く住んでいるもので、地元の林業家の方たちとも当然によい交流をしてますので、自分たちで木を切って小さなトイレぐらいは作ったりはするんですが、この大きな建物に関しては地元の間伐材ですね、割と細いひょっとしたらそのまま山に倒したまんまで枯らしてしまうような木を入れてもらって建てています。
うちのスタッフたちは猟師、ハンターでもあるので、山から猪や鹿から捕ってきます。そういう肉を男は獲って解体をします、女性はそれを更に骨を抜いてきれいな生肉にして、パック詰めをして販売まで持っていく、自分とこのレストランに出すものもあります。鶏を生きたまま殺して鶏肉にするのは女性スタッフの仕事で、すべての女性スタッフが鳥を捌きます。
お金のことを隠しながらしゃべると伝えにくいので話しますと、年間2,000万円くらいの売り上げ、スタッフで結婚してる組が3組、3つの家族を入れたら僕らも含め4つの家族を支えていかなあかんということです。その2,000万円っていう金額は全然大きな金額やなくて、まあなんとか支えていけてるという金額です。
農業っていうのが、今成功しても大したことなく、失敗したら大赤字っていう非常にお金儲けという観点ではホントに厳しい分野なんだけど、僕が話すときに必ず伝えているのは、色んなことやってるんですけど絶対やめれないのが農業やと思っているんです。農業はね、やっぱり困った時に最終的に食べ物があるっていうことの大切さがあると同時に、食べ物を作るっていうことは人を育てます。うちのスタッフたちみんな2535くらいの年代ですけど、皆ものすごくいい男で、いい女でしっかりしてます、考え方も。強いです、すごいたくましいです。そういう心を、体もそうですけど、心も含めて育む部分で農業っていうのはとっても大切な部分です。
こんな唐辛子を採ったら一味を作ったり、タバスコ作ったり調味料なんかも作ります。お味噌作りも当然するんですけど、お味噌も麹から作ります。その麹のお米は自分とこの無農薬のお米で作るというように。田んぼも9反の田んぼの苗を農協から買ってくることもなく、米粒の種まきからすべて自分たちでやります。このような手作りのものをレストランでお客さんに食べてもらったり、宿泊のお客さんの晩ご飯、朝ご飯で提供し触れてもらったり、食だけじゃなくて食は自然が育むものなので、自然を知ってもらいたいと色んな自然の体験もやってます。

NPO法人「芦生自然学校」の起ち上げに参加
大きな広いところは自然学校のキャンプ場なんですけど、田歌舎とは別に地域のまた他の施設の方と共同で自然学校というものをNPO法人で起ち上げています。僕自身事務局長という形で携わっているんですけども、色んな学校の林間学習とかの教育療法なんかも年間5校から10校くらい受け入れるプログラムの提供もしています。
そんな中でうちのような業態、言葉では表現しにくい不思議な不思議な業態やと思うんですけど、大きなくくりでいくと自然学校というくくりになるんですね。でその自然学校という業態が、30年くらい前から生まれてきた業態です。何を目指してるんだ何をしてるんだっていうと、以前は子供は十分に成長した、学校に預けていたら勝手に育ててくれた、しかし30年ほど前から学校に預けているだけでいいのかと、欠けていることがあるんじゃないかなっていうことで、まあ僕らの一世代上の世代、創始者にあたる人は60歳代後半くらいの方になってきてますけどね、学校教育の中で欠けていることを提供していきたいというところから生まれてきました。当初はなかなかそれが仕事、本業として成り立つという次元ではなかったわけですけども、それこそ例えば川遊びをする山遊びをするっていう案内を、お金をもらってするっていうことに対して社会的な抵抗、なんでそんなものにお金を払うねんっていう時代を超えてきてます。今ここ映像でてくるように、ゴムボートで川を下るなんてことはかってではまったくなくて、遊びにも色んな自然との触れ合い方のメニューも増えてくる中で、それにお金をいただいて自然案内を提供するっていうこともこの20年、30年の間にどんどん発達してきています。
もちろんこういうふうなスポーツ的な体験だけじゃなくて、もうただ広場で子供たちを自由にほっておいたら、自然と子供たちが土を使った遊びをし、最初は虫が嫌いやって言ってる中でいつの間にか虫のことを忘れて野山で走り回っている、そういうような色んなシーンを自然学校の中で子供たちに作り出していく、そういうことが広がってきました。田歌地区では田歌舎が、江和地区には江和ランドっていうところがあります。同じようなことをやっているとライバルっていう意識が生まれてくる、お客さんがあっちにも行ってしまうやないかという意識が生まれることがありますが、自然学校を興している人たちっていうのは、自分たちのとこにお客さんがたくさん来るってことを第一番に考えてる創始者は誰もいないんです。もっともっと多くの子供たちにこの自然体験、今欠けていることを体験してもらいたいという願いを持っています。自然学校や自然学校らしき団体は、15,000位がカウントされているんです。その中で自然学校で経営を、ちゃんとそれだけで生計を立てていくという状態を作れている団体は3,700位とカウントされています。おもしろいのが、色んな自然体験の仕方、提供の仕方があります。うちなんか鹿の解体なんかも子供たちと一緒にするようにそれぞれの個性があって、3,700の個性があるとも言われています。そんな中で我々の同業者仲間たちは、切磋琢磨し情報交換しながら「ああこの団体のやってることはいいな、うちもやってみよう」っていう時「じゃあやるんだったらこのノウハウを全部渡すよ」っという形で、協力関係、絆が強い業態です。
今流した映像は「芦生自然学校」、先ほどお話した僕らが作ってるNPO法人の自然学校です。月に大体1回ペースで約20名、このプログラムは4年目の活動なんですけど。自然学校の方はもう10年くらいやっています。1年契約で、4月に15月に1回、夏はキャンプをし、ゴールデンウィークにキャンプがあって、夏休みに3泊4日のキャンプ、秋にも冬にも1回ずつキャンプがあってという形で、1年間同じ子供たちが集まって来て、農業なんかも春に種まきしたジャガイモが夏場のカレーライスに変わるとかやりながら、川下りをしたり、その季節において順番に体験をしていく。春卒業で一年を終わっていく。ものすごく子供が成長をしていくプログラムです。
参加費は高いです。1年間で今96,000円いただいてます。単発の時はその日楽しかったというその瞬間の思い出だけになるプラスもあるんだけど、一年間同じメンバーでこういう体験を共有していくとコミュニケーションが生まれる。もちろんケンカっていうか葛藤も子供たちの中に起こったり、励ましあいがあったり、ある分野では頑張れる子が、ある分野では頑張れないときにまたそこでお互いの協力が生まれたり。子供たちがものすごく成長するプログラムです。富裕層の方たちが子供を送り込んできてるんかというと決してそうではないです。だけど子供たちが行きたいと言ってやってきて、その一年間の成長を見届けるとまた行きたいと言った時に、もうなんていうかな、親からしてみるとだいぶん懐が痛くともその成長を目にするとお金も出してくれる。そんななか少しずつ口コミもあって広がっているという活動です。

福島キッズプログラムの成り立ち-理念に賛同し参加
 そういうようなプログラムを福島の子供たちに提供したいなということで、京都プログラムを僕が手を挙げて呼びかけて受けることになったんです。
福島キッズですけども、実は僕が興した事業ではなくて、今説明した自然学校の業態の中から生まれてきた実行委員会です。この委員長の進士徹さんは、NPO法人「あぶくまエヌエスネット理事長」です。「エヌエスネット」っていうのは、ネイチャースクールネットワーク、簡単に言うと福島で僕らがやっているような芦生自然学校のような自然学校をずっとやってきた方です。3.11において今まで作り上げてきたこの自然学校がもうまったくもってできない、という事態に陥りました。そんな中で自然体験なんていうてる以前のこの状態になったときに、さあ進士さんの立場で一体何ができるんやと考えられた。子供たちをまず少しでも、他所の仲間のエリアに受け入れてもらって、放射能に対する有害なものを体から抜くっていうこと、精神的な部分で本当にこうたくさんのストレスを子供たちは受けている中で、少しでも開放されて、外遊びを楽しんだりしてもらいたいと。またそれだけじゃなくて、単純に自然体験を楽しい思いをするということだけじゃなくて、こういう苦難を乗り越えていくからこそ成長する、子供は成長していく部分があるんだと、ただ単純に保養に行くということじゃなくて、そのプログラム自体も子どもたちが育まれていくようなプログラムとして提供していくというやり方でこの進士さんが、3.11まで取り組んできた自分の自然学校のノウハウを生かした福島の支援としてやって行けないかということで声をかけたんですね、皆さんに。
 3.11のあったその春には動きだし、2011年の夏に一回目の活動がスタートしています。その時にはやっぱり受け入れの基盤として一気に広がるわけじゃなかったので、教育支援協会の母体がしっかりしている北海道が受け入れ先となってスタートしたっていう経緯があります。そこから受け入れ先が一箇所だけでは子供たちを受け入れるキャパシティ安全管理の問題含めてあるということで、全国の自然学校の中のネットワークの中で進士さんから「ふくしまキッズ」を次に受け入れ先を探しているんだというふうな呼びかけを受けました。僕自身、地震があった際ボランティアで現地に飛び込むってことは出来なかったですから、何らかお役に立てる方法はないかな、支援できる方法はないかなっていう思いは持っていました。僕は医者じゃないから詳しいことはわからないんですけど、1日2日離れたくらいでは下がってこない一定のものが、長期間4日5日と離れた、きれいな正常なところに行ったところからぐぐっと下がりだす時期があるそうです。体が浄化されていく時期があるようでして。やはりその長期間出るっていうことが、子供たちの体の中の毒を抜くっていうことに、非常に重要で効果的だっていうことがお医者さんの方では言われているわけです。その時に子供たちを受け入れて、楽しませてあげて、で少し放射能の体にたまったなんか有害なものを、そういう形の貢献の仕方ができるということで、何とか受け入れたいなというふうに思いました。
関西にも自然学校たくさんあります。うちらのように田舎で基本的に都会の子供たちを迎え入れるというようなスタイルの自然学校もあれば、逆に都会で自然学校を運営していて子供たちを集めて、子供たちとともに色んな場所へ訪れるというようなそういうスタイルの自然学校もあったりします。そういうそれぞれの得意分野とかあります。受け入れる能力としては、美山町だけで、我々の自然学校だけですべてのプログラムを受け入れることもできるんですけども、そうじゃなくて皆で協力して受け入れようよということで、関西でもネットワークを組んでいるんですけども、その関西環境自然教育ネットワークという中に僕が呼びかけまして、そのネットワーク全体で京都プログラムを計画しようということになりました。

ふくしまキッズの目的
~パンフから部分抜粋~「活動拠点と支援の輪の広がりを作り出すことはこの活動の大きな目的の一つで、それは、この活動を通して支援の輪を日本中に広め、日本社会に“子どもは社会で育てる”という考え方を定着させることである。ふくしまキッズの活動が2011311東日本大震災における支援活動の中で記録に残る活動の一つと言われている理由は、その規模の大きさだけでなく、他でも行われている“短期の保養・引き受け活動”とは違って、最長41泊という長期宿泊の引き受けと同時に、福島の子どもたちの学びと育ちを支援する教育事業であることだ。その教育活動の基本は多様な自然体験を基本にして、引き受け地の人とのふれあいを通したコミュニケーションを作り出すことで、将来の復興福島の心ある担い手を育成することを目的としている」とあります
僕自身もこのふくしまキッズ実行委員会のこの方針に賛同したので、だからこそ一緒にやりたいな思ったわけです。
それと京都プログラムでは先ほど紹介いただいた田中さんの奥さんがお隣の江和集落にいるんですけど、奥さんを含めて江和集落のお母様方にも手伝ってもらって、子どもたちが美山で滞在している7回の朝食を地域のお母様方に作っていただき、公民館で子どもたちに食べてもらうというようなことを、プログラムの中に入れています。その理由ですが、できるだけ多くの人、言葉悪いですけど巻き込む、携わってもらって、その子どもたちに触れてもらう、その活動に関わってもらうということの中で、今ここに福島の子たちが来ているよ、その中でこんだけの人が関わってやってるよっていうことをこじんまり、誰にも見えない中でやっていくことじゃなくて大きな支援をいただきながら進めていくことで、風化させないってことも大切やと思います。
関西ではともすれば、もう普段この原発の問題とか含めて、電気の問題とか含めて、3.11のこともう記憶からないのかなというような生活ぶりが見えるわけです。多くの人が何かできることがないかなと思いつつも、やっぱり日常の皆それぞれに生活は大変ですから、日常の中に追われてなかなか、機会があればと思いつつもできないという人の方がやっぱり多いわけですよ。そういう時に活躍していただける場を提供するっていうことも、この今の文章の中にある“子どもを社会で育てる”ということの一員に参加するっていうことも大切、そういう機会になるっていうふうな考え方があります。そういう思いもあったので、あったからこそですね、本当は朝ご飯朝食含めて我々のいつも仕事している者同士の中で完結することができるんだけれども、そうじゃなくてみんなで入ってもらおうよ、というやり方を選んでプログラムを作っています。
あともう一つの大切なことは“短期の保養・引き受け活動”ということじゃなくて、強く感じているのは、また子どもたちの受け入れをとおして感じたことは、関西の子どもたちは今3.11によってそれほど変わらず今も過ごしていると思うんだけど、福島の子どもたちは本当に苦難を乗り越えて成長していかざるを得ない環境にあります。本当に大人びた言葉で考えざるえないそんな中で成長していっています。社会の暖かいいろんな支援の中で、もちろん支援が多いことによってわがままになってくるというような現象も実は見えてたりもします。「福島ビーム」ってことばが僕らの中でキーワードになっているんですけど、子どもたちが「福島ビーム」をもっと出したら優しくしてくれるぞとか、そういうことを冗談でいうようなこととか。子どもたちって、成長の中できれいなことだけじゃなくて汚いズルイこととかいっぱいあります。そういうことも含めて子どもたちは、こっち側の関西の子どもたちなんかよりもいっぱい物事を考えて、今成長していってます。
我々の提供するプログラムは単純に保養ということだけじゃなくて、ある時にはきつく叱ります。福島の子はかわいそうやらからって、ここで優しく優しくしてあげようっというようなつもりはまったくないです。来た中で集団生活の中で、よくないことはよくない、そういう教育ってことをしっかり心がけてプログラムしていって、そういうことをとおして、きっとすごく素晴らしい人材が、この子どもたち、福島の子どもたちから生まれてくるはずだと僕は信じてます。
みながそういう素晴らしい大人に成長していってほしいわけだけども、まあそれは一つの願いとして、それこそ今の世の中の行き詰まりを打開するような力のあるような子どもたちが育つと考えています。この福島の子どもたちから、そういうふうな期待も感じられます。そういう願いを持ってこの活動をまだこの先数年間、続けて携わっていきたいなと。ほんとにわずかな社会貢献ですけども、僕の方の気持ちとしても「子どもは社会で育てる」っていうことの、特に福島の子どもに何か手を差し伸べるならばって、僕にやれることはこういう形かなっていうことで、参加している、あるいはしたいなと思ったということですね。

ふくしまキッズの運営資金-寄付、ボランティア、保護者負担
今福島では本当に数多くのこういう保養というか、子どもたちを外に連れ出して行こうという活動があります。ふくしまキッズ以外にも本当にたくさんたくさんあります。今、福島県がいろんなこういうふうに子どもたちを連れ出そうという支援団体に対して、13の団体を県として認めますという団体に指定しています。その中の一つにふくしまキッズも入っています。
その中でちょっと言葉悪いですけど、有償無償の支援の手があるときにですね、全額無償だということでやる中で、また親たちも色んなご家庭がある中で、なんていうかな無償だから行かせようとか、してもらって当たり前だとか、その親の姿勢がですね、無償でやっているとこは行き詰まりを起こしている活動が実は非常に多いんです。またその呼びかける団体の多くは知らないんですけど、してやってるというような姿勢というか、実際内容がなかなか無償だというから行ってみたものの、なかなかいい体験ではなかったというような結果に終わるような活動もやっぱり多々ありました。その活動を起こした人が悪いというわけではきっとないんだと思うんですけども、まあなかなかいいことをやったから素晴らしいというわけじゃなくて、いいことをやっていく中で、またそこに色んな問題が生まれてくることも実際あるんです。
 ふくしまキッズはその保護者から参加費をいただきます。親は子どもの健康のことを本当に心配し健康に育てるっていう義務があるわけですよね、その中で親は自分たちの家族経営・仕事のこと、あるいはひょっとしたら代々引き継がれてきた自分の土地、とかそういうことの中で悩んで悩んだ末に、福島に住んでる方っていうのはやっぱり福島に留まることを決意したんですよね。でもそれはひょっとしたら子どもの将来を奪うかも知れないという不安があるわけです。そこを施しを受けて子どもを出すというだけの考えじゃなくて、やっぱり私たちは福島に残ることを決意したが、だけども子どもは守らなくちゃならないという強い意志をやっぱり持ってる親はたくさんいます。そんな中で子どもに何ができるんだという時に、ふくしまキッズとの出会いがあり、一定のお金を支払ってでも子どもを出すべきだというくらい強いしっかりした思いで子供たちを出して欲しいというそういう願いによって、参加費が設定されています。その参加費というのは交通費程度というふうになっているんですけども、実は3万円もかからない横浜っていう受け入れ地があったりもしますし、3万円ではまったくきかない九州の離れ島があったりもします。だからそれは子どもが活動するための参加費として払ったという考え方ではなくて、このふくしまキッズの活動自体の活動の継続に対して寄付していただく人も含めて、保護者の方も同じように協力してくださいというそういうお金なんです。
活動資金というのは寄付で支えられています。特別支援団体としてGlobal Giving、海外の寄附団体です。これはインターネットを利用したような寄附ができる、クリックをポーンと一つ押すだけで、そこから寄付の方法がずっーと順番に簡単に出てきて、自分のクレジットカードの番号を入れたらそれでスッーと寄付できる。今このGlobal Givingからの寄付金が、この1年間に入ってきている金額でいうと5割以上になってきてます。
今2億円越えているわけですけど、お金を使うばっかりの活動ですので、全然足らなくなる可能性は充分にあるわけです。3.11の直後1年間は大きな支援金が集まってきたわけですけども、年数が経つごとにやっぱり下ってくるんです、集められる資金が。そんな中でお金がなくなったから、活動が停止しましたということにならないように、また本当に我々も色々な手立てを考えて動いているんだけど、まあそういうことも親御さんに理解していただきながら、この活動がまだ継続できる資金を、という意味も込めての値段であるということです。横浜はだから1万円にしようか、北海道だから5万円にしようかとそういうようなことが議論になったこともあったんだけども、今のような理由でこれは一律でいいだろうと、一律であるべきだというふうな考え方に立っています。

ふくしまキッズ-「放射能の脅威から子どもたちを守る」という活動
~パンフレットから抜粋~「ふくしまキッズの活動には色々な誤解やそれに基づいた批判や質問が寄せられることがある。一番よく寄せられる批判は、ふくしまキッズが福島県内に住居をもつ家庭の子どもたちだけを対象としていることについてで、なぜ県外避難者の子どもは参加できないかというものである。確かに、福島県外に避難している福島の子どもたちも大変な状況にあることは事実だが、我々民間団体にできることには限界があり、今、目の前の放射能の脅威に悩む子どもたちに対して、原子力発電によって電力供給を福島に押し付けてきた我々社会の責任を果たすということをこの活動のミッションとしているため、現在福島県内で生活せざるを得ない子どもたちを参加の対象としていることをご理解いただきたい」
関東の生活を支えているのは福島県の原発なんです。だから福島が困難になっていることの原因ていうのは、関東に住む人すべてにやっぱりあるわけなんですね。お世話になってきたからこそ、ひょっとしたら今の福島を救う義務があるのかもしれない、そういう考え方です。そこの部分です、電力供給を福島に押し付けてきた我々社会の責任があるのではないかと。みんなにあるのではないかと、福島県外の人にも。そういうことの責任を果たすということをこの活動のミッションとしてるっていうことで、たった今福島県の事故による脅威にさらされている子どもを限定するんだということになっているということをご理解いただきたい、ということです。
~パンフレットから抜粋~「またふくしまキッズの活動は反原発運動だという誤解もある。この活動に参加している団体や個人に色々な考えがあることは確かで、実行委員や支援委員の中には反原発の立場を明確にしている方もいる。しかし、反原発であろうが原発維持であろうが、どのような考え方を持つ人も“子どもたちを守る”ということについては協力できるはずで、今回の原発事故による放射線が子供たちに影響を与えることを心配しない人はいないからである」 
これも子どもたちを守るということに反対な人間がもしいたとしたら、それはその人はあんまり生きててもらう価値がないんじゃないかなというレベルです。それは政治家であったとしてもですよね。今でも自民党はその原発をまた造っていこうという動きがあったりします。色んな動きがあるんだけど、でもおそらく安倍首相であろうが、民主党の代表であろうが、公明党だろうが共産党だろうが、子どもを守るということのこの1点についてその考えに反対するっていう人間はまあいないはずです。
このふくしまキッズの活動っていうのは、だからそういうことで、「原発反対や」ってことを表明したいがためにやってる活動じゃないです。たった今この脅威にさらされているかもしれないですよね。チェルノブイリの件があります、その45年後、まあこの後に書いてあるんですけど、甲状腺がんがでるかもしれない。あるお医者にしたら、絶対に出ると。福島に子どもたちを住ませちゃ駄目だという人もいれば、問題ないっていう人もいるわけです。それまずわからないんですよね、ようは今わからない中にさらされている。ひょっとしてセーフであれば、それはそれでハッピーよかったね、ということで終われるわけですけども、そうでなかったとした場合には、ひょっとしたらこの子たちが5年後10年後に皆が生きていない可能性すらあるんですよね、可能性って意味では。実は春にふくしまキッズを受け入れた子どもたちの中に、すでに甲状腺がんの検査で引っ掛かっている子がいます、一番低いランクではありますが。でもそれはある医者に言わせたら、パーセンテージ的に何百人もいる中にそういう子は他所でもいるのではという数字なのかも知れないし、そうも言われるんですけど。でもひょっとしたらもうすでに原発の影響として出てきてる可能性もあるわけです。
でそういうところで身体の保養という意味も含めて、長期に離して行くということ、子どもを守るという行為、これは反対する人間はあってはならんと思うんです。

ふくしまキッズ-活動を5年間継続する意味
ふくしまキッズの活動は5年間で一旦終了するっていうふうになってます。それはそれをずっーと10年先20年先やっていく必要があるのかも知れないんですけども、まず一つの目安として45年後には身体の影響があるならばもう出てくるはずであるというのが、過去の事例、チェルノブイリ事例によってあります。その時にもしどんどん出てきたんだってことであるならば、その時にもうちょっと継続しようということは間違いやっていうことなんです。そうじゃなくて、もし影響が出てきたらそれは国としての大きな大きな問題です。この時点で国が子どもたちを守るために、何もできなかったらそれは間違ってます。
だからひょっとして45年後そういう身体の影響がはっきり見えてきた、その時に国が何も動こうとしないなら、て国に対してそうではいけない、子どもたちを守れということを訴えて行く方にミッションが変わる可能性もあるということです。どうなっていくかわからないですけど、そういうことも含めて5年間まずは頑張ろうと。そうすればまた次があるんじゃないかと。次もし我々が必要とされる何かがある時にはその時にまた考えて、また次の道に進もうかということになっています。

京都プログラム-地域の人々と協働して
 これまで説明させていただいたようなことに、僕自身が大きく賛同して心を動かされ、この組織の中で一員として実行委員会に参加させてもらった。そして京都プログラムを是非実施したいと思い我々の仲間を募り、できるだけ地域の人を巻き込み、地域・美山町の多くの方からお野菜とか食べ物もたくさん支援していただきました。そういう支援していただいたことに対して、それこそバナナ10本みたいな話から物資・お金含めて掲載しています。大きな支援だけでなくて細かい支援として京都プログラムでは財団法人美山自然文化村、美山は温泉が湧かない地域なんで、公共のお風呂っていったら自然文化村くらいなんですけども、そこでは子どもたちスタッフ全員の入浴、この活動期間2回、3回ほ無料提供いただきました。田歌地区江和地区なんかで公民館の無料利用及び朝食の給仕っていうようなことがあったりとか。あと個人名で河野賢司様、これ牧場されてる方なんですけども、美山の期間、毎朝の牧場の見学・案内、毎日牛乳をいただいたんです。朝ご飯に本モロコっていう淡水のおいしい魚があるんですけど、それを養殖されている方が提供してやろうってことでモロコ2㎏朝食唐揚げ用、大根15本とか本当に細かく書いてあります。
 これは京都プログラムとしてそういうふうにしようということじゃなくて、このふくしまキッズ自体の考え方として、すべての協力を可能な限り文字に変えようということで、すべてリストアップしてくれというふうにオーダーを受けてしています。書ききれない、表現しきれない支援っていうのもたくさんあるわけで、できるだけ文字にしていくことで他の色んな形で支援していただいた人にも気持ちは届くんじゃないかなということです。

1日目-まず城陽の施設で緊張をほぐす
 では京都プログラムの映像見ていただきます。ざっーとスケジュールをいいますと、福島からやってきたその日はまず京都府城陽市にある「友愛の丘」っていう財団法人の自然体験施設、YMCAとかのように歴史は長くて民間なんですけど、40年ほどの歴史のある施設です。我々の関西のネットワークの中の一員でもあって、受け入れ先として無償というわけじゃあないんですけど、大きく協力していただきました。
その城陽の施設に初日伺いまして、福島から新幹線で約5時間ほどかけてきますが、そのまま美山町までまた長いバスに揺られてやってくるというのは体力的にしんどいんじゃないかなということで、京都市の近郊の受け入れ先に入ってもらった。そこには美山は美しい山野なんですけど、なかなか平らな土地が少なく運動場のようなところをということもありました。僕らの業界ではアイスブレイクていうんですけど、まだ心が凍りついているようなところから心が砕けてみんなが仲良くなって、スタッフたちとともにこう笑いがでてっいうような、そういう緊張感をほどくために、体を動かすゲームがあったりするんです。そういうようなゲームをしたりしながら、この城陽のキャンプ場で過ごすという日にしました。
 福島では学校でもできるだけ体育の活動とかそれ以外の時間帯は外で遊ばないようにしましょうとなっています。僕も線量計を持って行ってきましたけど、そこらへんの草っぱらみたいなとこで、関西やったら全然、土地の持ち主さえ叱らなければ、そこでサッカーなりなんなりできそうなそういうところに線量計を置くとやっぱりひどい数字が出てくるわけですよ。できるだけ子どもには外遊びをさせない、したらダメよなんてことを親がいう羽目になっているってことで、やっぱりのびのびここで好きなように遊んでいいよという広場を与えるもうそれだけで子どもは夢中になって遊びます。遊びました本当に。2日目の午前中なんかは自由行動っていうことで、グランドがあったりボールがあったりするんで、バスケットする子サッカーする子、ドッチボールする子、ただ鬼ごっこをする子そんなふうに走り回る。

2日目から美山町-ゆっくりと生活、自然体験、地元の子供と
 2日目のお昼から移動して、美山町に入って行く。美山町に入ってくると僕のところと江和地区の江和ランドという観光農園に、それぞれ20名ずつ分宿という形で受け入れました。そこからメインの7日間、6泊7日の長期滞在のスタートとなります。
 基本的にはプログラムを詰め込みすぎないよう、忙しくなってしまうようなプログラムじゃなくて、朝起きてしっかりご飯を食べて、それから洗濯とか含めて身の回りの整理をして、遊びにでかけたりあるいはゆっくり自分たちの中で過ごしたりということをしながら、6泊7日を過ごす。その中のお楽しみとして、春先の雪解け水の中で川下り、ラフティングを体験してもらったり、残雪の残る山のトレッキングに連れ出してみたり、あるいはお餅つきをしたり、木登りをしたりっていうことを、6泊7日間の間に散りばめました。
 あとは小学生同士の地元の子との交流も是非したらいいなという思いもあって、教育委員会の承認もうけ、地元の小学校校庭と校舎も開放していただいて、先生も一部協力していただいて、子ども同士遊んでもらうということも、実施しました。地井小学校っていうんですけど、子どもの人数はみんなで30人もいないぐらいになってきているんですけど、そんな中にふくしまキッズの子どもたち36名が加わって60数名の子どもたちになったわけです。実はこの地井小学校も10年ほど前までは50人くらいの生徒がいたんです。それこそ少し前の姿を見るような、子どもたちが久々にあふれて、外で運動会のようにドッチボールなど楽しんでいる姿はなかなか感動的でした。
 子どもたちも、地元の子どもたちも基本シャイでなかなか最初に会話しない表に出たがらないなんていうことも日常ではあるわけだけど、福島の子どもたちが置かれている境遇なんていうことを事前にやっぱりよくよく考えて参加してくれてます。僕の方も子どもたちにお願いしたのは、シャイな気持ちがあったりするけどあんたたちが福島の子どもたちに最大にやってあげられることは、思い切って心を開いて一緒に思いっきり楽しむことだ。それが福島の子どもたちにあなたたちができる最大の支援だから、とにかく一番の元気と一番の勇気をだして一緒に楽しむよう頑張ってとお願いしました。だから健気にしっかり地元の子どもたちは期待に応えて、早くに打ち解けてものすごく盛り上がって終了の時間がきてももっとできないのという盛況のもとにできました。保護者の方もものすごい喜んでいただけて、よかったです。
 僕の仲間で兵庫県の丹波でパラグライダーをやってる方がいます。飛び切りの自然体験、プレゼントみたいな体験をさせてあげたいなということで、6泊7日を終了したのちにパラグライダーの体験もしました。
丹波は行政がこういう支援に熱心で、バスを出してくれたり活動に対しての支援金を出してくれたりしました。南丹市はちょっと渋っているんですよ、協力なかなか難しい自治体なんですけど。丹波市はキャンプ場も無償提供でやってくれました。

最終は京都観光-京都市の協力を得て
 パラグライダー、プラスキャンプということを丹波でやった後に、やっぱり関西にやってきたら京都に行きたいという。福島県は実は修学旅行は京都に来てない地域です。京都は修学旅行の受け入れ地としては都道府県で一番多いんですよ。だから全国からくるんだけど、福島県は元々京都に来てないんです。だから子どもたちがすごい京都の市内というのを愉しみにしている場所で、僕らとしてもそこをはずすわけにはいかないなということで、京都の観光を2日間、最後に取り入れました。
 京都ユースホステルがこれまた我々の仲間で事務局長をやっている男が、僕の強い個人的にも仲間なんだけど支援をいただきました。「宇多野ユースホステル」です。ものすごいきれいなユースホステルです、京都市の指定管理の施設ということで京都市の意向でその宿泊費は半額という協力を頂きました。市長の門川さんがものすごく支援に熱心で、まさに鶴の一声という形で減免措置をしてくれまました。あとマンガミュージアムというものがあるんですけど、そのマンガミュージアムも無料開放、短期間の交渉で支援できるものを提示してくれました。
 そんな形で子どもたちに京都観光、二条城なんかも観たりしながら、最終2日を過ごして京都駅でお別れ。下京区の区役所ですね、区役所の部屋をこれまたやっぱり解放していただいて、下京区の方もプレゼントを用意してくれて子どもたち全員に、まあそれで閉会式を行うということができました。

田歌地区でコミュニティエネルギーを実現したい
自給的生活の中で自分にできることのもうひとつの柱です。未来永劫にやっていけることです。エネルギーの自給の先駆者として地域のなかですすめていきたいと思っています。そのひとつの取り組みとしてソーラー発電を導入しなくてはならないということです。うちは獣肉の販売もしていて、ものすごい大きな冷蔵庫が動いています。鹿肉の販売だけで年間500万円あげています。実際に肉屋という一面もあるんです。電気代が月5万円位超えてしまう。大飯原発に頼っているそれを脱却するためにソーラーをいれました。実はローンでもよかったんですが、うちがこういう多くの発電できる施設というのもあり、できるだけPRできるような形での設置を目指して京都グリーンファンドというものと協同でやりました。出資金を募って寄付を募ってやるんですが、出資金は240万円集まったことと寄附金が40万ほど集まったんですが、寄付金はこういうパンフレットなどの活動経費になり、出資金200数十万はソーラーの設置後返済していく。出資10万円に9万円は5年後に返却する形になっている。1万円は、基本的に出資して元をとるという発想ではなく社会に貢献する。お金にゆとりのある人にお金という形の社会貢献をお願いしますと1万円を寄付していただくという形です。実は多くの方の支援を頂いて金銭的にはローンで作ろうということではなく、こういう活動として訴えるということでやりました。
その先、将来的には、美山町はすごく水の資源に恵まれているんです。水力発電、自然学校のキャンプ場では3.11の前に僕の提案で水の発電をしているんです、「田歌舎」で水路を利用してやっていこうと。今蓄電器が日進月歩で発達している、そう遠くない将来、自家用の蓄電器を設置してそこでソーラ―の電気を充電して自分の家で発電所が完結できる、技術的にそういう時代に来ている。今電機は関電のひとつの会社のものになっているんですけど、その電線が公共のもので道路と一緒、みんなの共有の財産という考え方に変わる時期がそう遠くない。もう変えるということが政府のなかで決まっている。インフラ整備を集落の中で電線を利用して送電をする、自分たちが作った電気をその電線を使って送電することが可能になります。それが出来た時にはコミュニティエネルギーができる。今は電気を「田歌舎」で完結しようとしているんですけど、田歌地区、例えば集落のなかで南地区には斜面にメガソーラーのようなパネルを置き、大きな水路の中に水力発電をおいて、変電所ではないですけど大きな蓄電システムを公民館のそばに設置し、そこから集落に電気を送るという電力自給ができる。いくらで電気を買うというのでなく、関電とのお金のやりとりと完全にお別れすることが技術的に可能になっている。
僕のできることとし、何を目指そうかなというのは今話したとおりです。先ずは自分の施設のなかで電力の自給を達成する、元々、薪などを使っ灯油資源、化石燃料も減らす努力をしています。今努力しても出来ないのが自動車です。ハイブリッドにもなっていないし、電気自動車に移行して行けば100%はできないけれど化石燃料を減らすことは出来る。あとはバイオマス木材燃料、そういうのを取り入れていったなかでエネルギー自給を高いレベルで実践していきたい。そのことを集落の合意と賛同を得てコミュニティエネルギーを田歌地区の中で達成したい。そういう願いを持っていて、自然エネルギーフォーラムを自然学校の仲間たちで去年関西フォーラムを主催しました。140名程の自然エネルギーに関心のある方が集まり、そのなかには自然学校や環境系の方もいました。例えば風レンズ風車を開発している会社の方、自然エネルギーの機械を作っている方も関心をもっており、今年田歌地区で秋のフォーラムを開催します。全国から集まってそこでぼくが狙っているのは全国の色んな情報、自然エネルギーのこんな道具あるよ、こんな機械あるよ、値段はいくらとかそういう情報を解っているわけではないので理解して設置を目指さないと、技術は日進月歩なんで。この水力発電いいなというと100万する、それがある日には10万ででこんなものができるという時代なんです。そういう情報を地元の人に知ってもらってこの田歌地区ならこんな自然エネルギーを実際にこの位のお金でできるんだという情報を与えてもらう。全国のいろんな関心の高い人に見てもらって、ここにこんな斜面があるならこの川の流れがあるんならこんなことできるんじゃないか、実際の田歌の土地のデザインをしてもらう。今年の秋のフォーラムで私が実行委員長で実施します。
この次の狙いがあって、これを成功させて、田歌集落の人にその後に田歌地区が一刻も早く自然エネルギーの里になる、これは圧力をかけるのでなくみんなのビジョンとして目指していければいいなと思う。おそらくフォーラムを終えた後、こんなフォーラムならうちの地区に来てやって欲しい、この話を聞かせて欲しいというのが生まれてくるんじゃないかと思うんです。うちにきてくださいという誘致する先を募っていったら来年再来年のフォーラムに継続していく。その時は実行委員長ではなく実行委員で、僕がやる私がやると受け継がれていくようなフォーラムの皮切りにしようと思っています。僕のできること、福島キッズとあわせあてこのふたつです。


0 件のコメント:

コメントを投稿