2013年1月11日金曜日

2012.8.11 例会 「住む場」を求めて/岩手、福島そして豊中-寺川政司さん


スピーカー 寺川政司   畿大学建築学部建築学科 地域マネジメント研究室
             一般社団法人 コミュニティマネジメント協会 副会長
             ○2011年5月から岩手県大槌プロジェクト事業に携わる

日時・場所 2012年8月11日(土)18時~20時 関西文化サロン
 

-岩手大槌町プロジェクトについて-

人が集まれる場所を作ることが大切です。本格的な場所を。地域に対し、協力してくれる企業や高校生に手伝ってもらうことによって、地域で何かを作るということが出来る。
今回のケースではサロンを開業してお茶会や体験教室をしますというチラシを作って配ります。最初は小さいユニットから始めて、途中で増築をしようかという意見が出ました。結果的に人が繋がる居場所になったので、これは地域の方が頑張った成果じゃないかと思います。また、イベントでは参加者を募ってフラガールを披露したり、この場所で社交ダンスを踊ったり、孫を呼んでイベントに参加したりしました。被災してしまうと会う場所がないので、(仮設では中々会う機会がないので)そんな機会を作るべく「集い」という名でNPO法人を今後作る予定です。



-豊中のプロジェクトについて-

福島から近畿に被災して来た人は色々な問題を抱えています。精神的にも大変なことになっています。具体的には家族のことや仕事のことです。被災者はいつ戻ってくるんだ?戻ったとしても今度は福島が受け入れてくれるかどうか?(放射能の関係も含む)当時の居場所がその時はないということです。戻るか、戻れるか。今出ている情報を信じて良いのか。かといって福島を捨てたのかと言われるのも辛い。そのためにも私達は街を再生するために動きます。被災された方々が戻りやすいように。
福島の街には仮設住宅がたくさんあります。そしてそこには子供がたくさんいます。そんな中で私達に何が出来るかを考えた時、こんなプロジェクトを考案しました。失業された方に対し、就労子育て支援付き仮設住宅の提供です。これには豊中と福島の連携の強化がとても大切で、条件によっては、支援をする、されるの関係になります。そうすると、支援をされる側は最初は良いが、時間が経つとしんどくなりますので、支援をする、されることに対しての排除を目指します。このプロジェクトの受け入れ先として、母子家庭で県外避難を希望する方、介護や子育てに対してスキルのある方、福島の街を再生したいと考えている方等が対象になると考えています。まずは豊中に来てもらい、雇用を作り生活をしてもらいます。
これの一つの例として豊中の庄内の話があります。そこに一つ拠点がありますので、そこを利用するようにします。ここは被災者だけが使うのではなく、この辺りに住む皆が集まれるスペース作りの場として使用します。実際今は福島から来た女性が住んでいます。
次に、今仮設住宅に住んでいる方々が冬・夏になった時に過ごしにくくなることが想定され、その時にどうするかが問題となっています。街を再生するためにいかに住民が参加出来るか、そこをサポート出来る体制作りが大切になるでしょう。また、新たな雇用作りを街として出来るかどうか大切です。
話は変わりまして、将来、数年のうちに南海地震がくると言われています。そこで街同士の良い関係作が大切になってきています。支援をする、されるという関係ではなく、お互い一緒に高めていく関係の構築が求められます。第二の故郷作りといったものでしょう。そして豊中に来た被災者が安心して過ごしていけるように、体制作りが柔軟に出来るかどうかが今後大切になるでしょう。


-質疑から-

働くという点において、被災されている方は子育てがあるので、中々仕事と家庭との時間を取れないという問題がある。実際、被災せずに仮設住宅を案内された場合、従来の場所とは離れて山側といった駅から遠い不便な場所に案内され、変更することは出来ないのが現状です。駅に出るのにバスで片道1,000円かかるなど、余計に生活費が苦しくなることもあります。

被災者向けにマンションを持っている人が一時的にここに住まないかという声がけがあります。行政機能を絡めずにオーナーと被災者との関係なので早く動けるし、オーナーからすると空室もなくなるので、今回、一つのモデルケースとして紹介しておきます。

 私はキーワードとして「居場所」と言う言葉を考えています。住む場所において、田舎と都会では全く異なります。都会で居場所を作るのは難しく、「集まりましょう。」と声をかけても中々集まらないのが現状です。実際のモデルケースでは、行かなくてはならない場所に「集まれる居場所を作る」のが良いと考え、作っています。鍼灸院にそれを作りました。このように、本来組み合わさることがないような組み合わせが意外と良い結果を生みました。

福島の放射能の問題で、自分が福島出身であることを言いたくないという人がいることが問題となっています。実際のケースで、被災されている方が福島ナンバーの車でガソリンスタンドに行くと入庫を拒否されてしまいました。また、子供に福島の出身であることを言わさないよう言いつけていること。また、親としてそんな福島から来た子供と自分の子供とは遊ばせないよう言って聞かせていると言っています。このことを聞いて広島の方達が「福島の人は私達と同じような経験をされるでしょう。50年経って私達はようやく多くのことを言えるようになった。」と言っています。そこに支援の難しさを感じました。実際、たくさんの情報が世間に流されており、どれが正しい情報で、どれが正しくない情報なのか、困惑しています。そんな噂や先入観で物事を決め付けず、直接被災された方々と話をすることが大切と考えます。そのためには居場所やコミュニティーを作ることが重要なんじゃないかなと私は考えます。

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